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About.王玉開あぽ  (1923年生まれ)

16歳で皇桐村に嫁いだ。親同士が決めた結婚だった。結婚式が終わってしばらくは、アポは夫と一緒にいるのが恥ずかしくて、夫が農作業から帰って来る前に急いで一人で食事を済ませ、顔を合わせないようにしていたと、新婚生活の思い出を語った。
 

1939年11月に日本軍が海南島臨高県に侵攻した。
ある日アポが家で夫と食事の支度をしていた時、皇桐村への日本軍の「掃蕩」が始まった。
日本軍が家に押し入り、夫はすぐに捕まえられ、縄で縛られて暴行され、全身血だらけになった。
アポは台所で3、4人の日本兵に囲まれ、そして輪姦された。戸口で縛られていた夫は妻が暴行されるのを見ているしかなかったという。

 

夫婦には生後数ヶ月の赤ちゃんが居たが、日本軍が来てから誰も世話ができず、栄養失調で亡くなったという。

臨高県の「東の玄関」と呼ばれる皇桐鎮には、日本軍の拠点が置かれ、現地の村人たちは毎日強制労働をさせられていた。アポは行水用の水汲みをさせられたが、容姿が良かったアポはほとんど毎回日本軍に残れと言われ、そしてそのまま強姦された。

アポたちは皆日本軍から逃げる試みをしたことがある。ある日アポは、日本軍がいる自分の村から
逃げ出す機会があった。そして必死に実家のある村まで逃げてきたが、その村には更に多くの日本兵が居て、アポはまた捕まってしまった。「もうどこへ逃げればいいのかわからなかった。」逃げてきたアポをかくまったせいでアポの両親はひどく殴られた。

 

1945年に日本軍が撤退するまでアポへの暴力は続いた。その後、また夫と共に暮らしたがもう子供ができることは無かった。アポは、「もし赤ちゃんが生きていたら、今頃もう70代になってるね。」と言っていた。

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