top of page

About.鄧玉民(ティンタティン)あぽ

あれは1943年。住んでいた村は日本軍が攻め入り、国民党軍まで略奪を始めていました。家族全員で別の村に逃げました。そのすぐ後のこと。この村にも日本兵たちは攻め入って、新しい家にやって来ました。そばの駐屯地に連れていかれました。まだ14才のときでした。何が起こるんだろう。想像もつきませんでした。
 

初めはお米の選りわけをさせられました。日本兵たちが村々から奪ってきたお米です。選りわけをしていると女の子の叫び声が聞こえてきました。先に連れてこられていた年上の女の子でした。何が起こっているのか分かりませんでしたが、恐ろしくなって家に逃げ帰りました。日本兵たちはさっそく連れ戻しにやって来ました。「戻らなければ殺すぞ」と脅されました。怖くてたまりませんでしたが、泣きながら駐屯地に連れて行かれました。
 

それから数日経ったある日のこと。選りわけをしているところに2人の日本兵がやって来ました。怖くなって逃げ出しました。必死に走りましたがついに捕まってしまいました。その場で押したおされてレイプされました。泣きじゃくりながら家に帰りました。両親に打ち明けると、父はひどく怒り出しました。「どうして逃げなかったんだ」と罵りました。分かってもらえないのがどうしようもなくつらかったです。駐屯地には二度と行くまい。けれど、日本兵たちは連れ戻しにやって来ました。必死に抵抗しましたが、父が殴られて大怪我をしました。行くよりほかありませんでした。
 

駐屯地に戻るとこんどは倉庫に閉じ込められました。2人の女の子と一緒でした。日本兵たちは毎日倉庫にやって来て、みんなレイプされました。抵抗するといや応なしに殴られました。刀の柄で殴られたこともありました。そのときの傷はいまも背中に残っています。雨が降るととくにひどく痛みます。そうしてあのときの光景がよみがえってくるのです。
 

10日とすこし経って、倉庫からは出られることになりました。けれど、駐屯地に家から通うことになっただけで、あとは何も変わりませんでした。昼間は食事がとれない、夜は眠ることができない。日ごとにお腹の下の膿みがひどくなりました。治療を受けられないまま、ついには立ち上がることもできなくなりました。父は見かねて抗議してくれました。けれど、レイプの回数がさらに増やされるだけで、良くなることはありませんでした。
 

そんな日々から抜け出したとき、すでに2年が経っていました。かくまってくれるひとが見つかり、家を棄てて山づたいに逃げました。もとの村に戻ってきたのは、日本が敗戦してからです。
 

山をいくつも越えながら、追っ手が来ないかと脅えて過ごしました。あの山道は、いまでもよく夢に見ます。雨が降ると古傷が痛みます。駐屯所で起こったことを思い出します。日本兵たちは首を絞めます。腰を押さえつけます。「戻ってこい」「戻ってこい」と襲ってきます。そんな夢を見ます。恐ろしくなって飛び起きます。心臓が破れそうになります。涙が止まらなくなります。家族を起こさないよう、声をころして朝がくるのを待ちます。

bottom of page