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About.符桂英あぽ
最初の夫が亡くなったため、19歳で皇桐村に嫁いだ(1938年)。
日本軍が村に侵攻してきてから、
夫は鉱山にクーリー(苦力)として連れて行かれた。夫を心配したアポは翌日日本軍の拠点に夫を探しに行った。日本軍に協力していた村人に門まで案内され、日本軍兵士に軍の拠点内部まで連れて行かれ、そこで二日間にわたって暴行された。
日本軍は砲台や軍事設備を建設するため常に村人を強制労働させた。アポたちは日本軍の行水用の水汲みもさせられ、行水が終わると日本兵たちは見た目のよい娘たちを居残らせ、そして強姦した。
もしも村の保長がアポたちを家に帰してくれるように日本軍に働きかけなければ、そのまま部隊に監禁され暴行され続けただろう。しかしその保長も日本軍がいる間に少なくは無い「悪い事」をしたとアポは言ったが、現在も彼の子孫が同じ村に暮らしているため、具体的な事は語らなかった。
夫は隣町の福山鎮まで強制労働に駆り出され、きつい労働で水も飲ませてもらえず、水溜りの泥水を飲んだりしていたという。ある日命からがら逃げ出し村まで戻ってきたが、過酷な環境ですでに病気になっており、しばらくして夫は亡くなってしまった。
残されたアポは、家に女性だけになってしまったため、誰も助けてくれる人がいなくなり、日本軍が去った後も様々な苦労をした。男子の居ない家には、農地や作物の分配がされなかったり、様々な権利が無く、アポは戦後の苦労もみな日本軍が来たせいだと言った。
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