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About 陳亜扁あぽ(黎族)

陳亜扁さんは、1929年に生まれました。

1943年14歳の冬のことでした。陳亜扁さんが田んぼの手伝っていたとき、突然現われた数人の日本人に拉致され、日本軍の施設の中の狭い平屋に閉じ込められてしました。
 

それからというもの、昼間はお米に混ざった小石を取り除く作業をやらされ、夜になると毎晩4、5人の日本兵から強姦されました。抵抗するとなぐられ、くやしくてずっと泣いていたそうです。
 

拉致されてから3カ月後、陳さんは三亜(海南省第二の都市)の藤橋というところにあった慰安所に移され、2階建てのバラックのような建物に住まわされました。食事は部屋まで運ばれてきて、トイレに行くときにも見張りがついてきました。毎夜、日本兵たちが押しかけ、陳さんを強姦し、大量に出血したこともあったといいます。
 

藤橋の慰安所があった場所は、日本軍占領当時、日本の企業が軒を連ねていた通りでしたが、当時の建物はいまでもそのまま住宅として使われています。慰安所の跡も火事で焼けたままの状態でいまでも残っています。

日本軍が降伏するまでの2年間このような監禁状態が続きました。日本の敗戦で陳さんは解放されましたが、すぐに捕まってしまうのではないかという不安でなかなか村に帰ることができず、森の中に隠れていました。その間は母親が食料を運んでくれたとそうです。
 

やっと村に帰っても、村の人たちは彼女のことを「日本軍に汚された」と言い、村八分にしました。
26歳のとき、彼女の悲惨な体験を理解してくれる男性が現われ結婚しました。少しずつ元気を取り戻し、妊娠しましたが、残念ながら流産してしまいました。その後、8回も死産と流産をくり返しています。

 

何度か自殺しようと試みましたが、夫の支えで思いとどまることができたといいます。医者の診断では、「性的な暴力を受けていたせいで子宮や骨盤がゆがんでしまっている状態」で、彼女自身が命を失うかもしれない危険がありましたが、9回目の妊娠でやっと女の子を出産することができました。
 

陳さんの夫は数年前に亡くなりましたが、それからというのも、昔の記憶がしばしばよみがえるようになり、日本兵が襲いかかってくる幻想に襲われ、恐怖感で一杯になるそうです。
 

いま、80歳になった陳さんの身体は、慰安所で受けた日々のひどい仕打ちによってぼろぼろになり、その時に発症した頭痛がぶり返し、頭痛薬が手放せません。陳さんは「私は死ぬまで日本兵を憎みます」と言います。

 

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