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About.譚玉蓮あぽ

黎族である譚玉蓮さんは、1925年陰暦7月頃に保亭県に生まれました。両親、弟三人、妹一人のいる農家で長女として生まれ育ち、小さい頃から農業のお手伝いをしていました。

1943年春、玉蓮さんが18歳のとき、日本軍が初めて村に来ました。日本軍はこわいといううわさを聞いていたので家族は逃げることができましたが、譚玉蓮さんは逃げ遅れてしまい、ベッドの下に隠れていましたが見つかってしまいました。そして、日本軍が藤橋から南林まで道路敷設をするための労働者として徴用され、南林の拠点に連行されました。連行されたその日のうちに、三人の女性とともに「戦地後勤服務隊」に選ばれ、服務隊の仕事として、ご飯作りや洗濯をさせられました。服務隊の仕事をしている最中に、山に連れて行かれ、日本兵によって強かんされました。他の服務隊の女性たちも、玉蓮さんと同じように強かんされました。「逃げだしたらほかの者や家族を殺す」と脅されて、逃げることはできませんでした。その後、藁ぶきの掘立小屋に間仕切りをした個室に、玉蓮さんと他の女性たちは監禁され、昼夜を問わず、生理中であっても、毎日4、5人の日本兵から強かんされました。
 

玉蓮さんと同じように監禁されていた李亜細さんという女性が妊娠をしたため、日本兵はお腹を割いて赤ちゃんを取り出し、李亜細さんと赤ちゃんを生き埋めにしました。玉蓮さんは目を閉じていましたが、この凄惨な出来事は李亜細さんの悲惨な叫びとともに記憶に残されました。
 

1945年半ば頃に日本軍の混乱に乗じて、玉蓮さんや他の女性たちは逃げだすことができました。日本の敗戦後、玉蓮さんは結婚しましたが、自分の過去を夫となった人に話すことはできませんでした。日本兵に抵抗したときに殴られた背中の痛みはずっと疼き、毎日シップを貼っていました。シップを貼るたびに、性暴力を受けた当時のことを思い出しました。特に、最初に玉蓮さんを強かんした男たちのことを、思い出したくもないのに鮮明に思い出してしまい、似た男を見ると恐怖心で動悸が激しくなりました。近隣の人々からは「日本兵の女だった」と非難と差別を受け続けました。それは夫や子どもたち家族にまで向けられ、とても辛かったそうです。
 

玉蓮さんは、2002年11月30日、永眠されました。私たちハイナンNETは、玉蓮さんにお会いすることはできませんでした。

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