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心の傷

何か、ある大きなショックがきっかけで、心に大きな傷を抱えてしまうことがあります。例えばある日突然、家族が交通事故に遭い、亡くなってしまう。昨日まで笑っていた友だちが自殺してしまう。小さかった自分を親が虐待していた。突然自分がレイプされる……。こうしたことは、私たちが生活しているなかで、誰にでも起こりうることです。そのときのショックが大きいと、心が壊れてしまいます。治したいと思っていても、自分一人ではどうにもできない心の状態になってしまうこともあります。
 

日常でも戦争でも、心に傷を受けてしまった人の苦しみは同じです。戦時中に性暴力の被害を受けた人たちも、身体だけでなく、心に傷を抱えている人たちがたくさんいます。


夢のなかでも逃げられない

 

海南島に住む陳金玉さんは、法廷に立ったときの証言や精神科の医師の前で次のように話してくれました。

「私は14歳で日本軍に拉致されてから、性格がすっかり変わってしまったと思います。本当に楽しいという気持ちがしません。子どもができて良かったとは思いましたが、それは「私の喜び」ではなく、家族の喜びでした。子どもが生まれることを私自身が心から喜ぶ感じはしませんでした。
 

布団に入ったときや一人で静かになったときには、以前の強かんの体験が次々と浮かんできて、眠れなくなります。少し眠ったかと思うと悪夢で飛び起きるのです。胸がドキドキして張り裂けそうになります。夢の中では、馬に乗った日本兵が追いかけてきて、逃げても逃げても、逃げられません。追いかけられて、必ず捕まえられます。顔、姿はもやのようであり、ただ髭があるのです。少女のときはぐっすり眠れていたのに、日本軍に捕まって強かんされて以来、ぐっすり眠れたことはありません。
 

起きているときも、自分の傍らに人がいるような感じがすることがあります。何かザワザワと人が言っているようであり、あれをしろ、これをしろと命令しているような声が、左耳の後ろから聞こえてくるような気がします。朝は「早く起きろ、早く働け、米を分けろ」と聞こえてくる。昼は「部屋へ行け」と言っている。夜も同じであり、それと同時に足や手を押さえつけられているような感じが伴います。畑で働いていると、急に思い出して苦しくなり、涙が出てきます。後ろに人がいるようで、追いかけられて、逃げているような感じになります。
 黎族の娘の着るスカートを縫っていましたが、日本兵はそのスカートを破り捨てました。私は日本兵を死ぬまで許しません。スカートを縫っていたときの気分のいい自分は、二度と戻ってきません。たくさんの女の子がいるのに、なぜ私だけと思うと、悲しくなります。
変わってしまった性格も好きになれません。誰の言葉も信じられず、いつも落ち着きがありません」。


 

おしゃべりをしたり歌を歌って、生きていたかった
 


もう一人、同じく海南島に住んでいる、譚亜洞さんの心の様子です。16歳のときから数年間、性的拷問・監禁を強いられました。日本兵に殴られ続けたため、右の肋骨と背骨が変形し、骨盤もずれてしまっています。

 

「何かをしていても、突然強かんや拷問の場面が浮かんできます。昼間にこうした場面が浮かんでくると、夜には必ず悪夢にうなされます。道端の木が何かを叫んでいるように見えたり、同じ場所に監禁されていた李亜細が腹を裂いて殺されるという夢をよく見ます。悪夢で叫んで飛び起きると、冷汗がべっとりと出ています。私は、以前は活発で明るく、友達と話し合うことが好きだったのに、事件の後は、人としゃべるのが嫌になりました。誰かの相手をするのは苦痛で、何もしたくないと感じます。私は、今の娘さんたちと同じように、私も歌を歌ったり、おしゃべりをして、生きていたかったと思っています。
 

あるとき、テレビ番組の中で、戦争で日本軍が村に入ってきて虐殺する場面が出てくると、すぐ李亜細の死を思い出し、彼女が殺される場面が浮かんできて、頭がぼーっとしてしまいました。家族には「本当のことだよ」と言いました。その夜は眠ることができませんでした。」


トラウマとPTSD​


陳金玉さんや譚亜洞さんは、14歳や16歳のときに強かんされた情景を、忘れることができないでいます。自然災害や交通事故にあった人も同じような場合があります。外側から自分の処理能力を超えるような肉体的、精神的ショックを体験したとき、心はその場面の記憶を刻み込み、長い間、深い心の傷となってしまいます。このことを「トラウマ(心的外傷)」と一般的に言っています。トラウマになった記憶は、傷となって残る代わりに、他の記憶とは混じりわりません。そして通常の記憶とは違って、年月が過ぎてもまるで昨日のことのように鮮やかに浮かび上がるといいます。

 

しかし、心の傷があまりにもひどいと、その傷は時間が経つにつれて心の中に侵入していきストレスとなり、それを原因として発病し「障害」となります。それを「PTSD」(Post-Traumatic Stress Disorderポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー)=心的外傷後ストレス障害と言っています。「忌わしい記憶が忘れられないから苦しい」のではなく、「忌わしい記憶がPTSDとして変形してしまっている状況だから苦しい」という症状です。
 

陳さんや譚さんは、誰も助けに来てくれないという絶望感の中で、そして毎日部屋に来る日本兵からいつ殺されるのかという恐怖のなかで、数ヶ月から数年にわたって監禁され強かんされ続けたことで、その状態から解放された後も、ふとした瞬間にはっきり迫ってきたり、そのことによって心臓がドキドキしたり、眠れなかったり、冷汗が出てきたりし始めました。また喜びや幸せも感じることができなくなっている状態になりました。医師はこのような状態を診察して、彼女たちをPTSDであると診断しました。そしてさらに、その破局的な体験のために、人格まで変化していると診断されたのです。
 

このようにして負ってしまった心の傷を治すことはできるのでしょうか。現在のその人の周囲が、物理的にも社会的にも安全であるという確信を持つことができ、その中で過去のトラウマとなっていた出来事に対して自分の歴史の中で語りだすことができ始め、自分の歴史の過去の通過点であったと、過去のものにすることができて初めて、治癒することができるとも言われます。しかし、治るまでの道のりは、けっして簡単なものではありません。先の戦争が終わって60年以上経った今も、こうした症状が彼女たちを苦しめているのです。
 

それでも、治癒は自分一人でしていくのではありません。周囲の関係する人々や社会が、その人を支えて行くことで、少しずつ変わっていくものです。少なくとも今この時代に生きている私たちが、その苦しみを少しでも理解しようと努力することは、無駄なことではないように思います。「慰安婦」「戦時性暴力」という言葉の影に、この心の傷のことをかすめさせてはいけないと思うのです。  

参考文献 
海南島戦時性暴力被害事件訴訟・訴状
海南島戦時性暴力被害事件訴訟・2008年12月25日速記録
野田正彰「海南島での長期性暴力被害女性六人について 精神鑑定書」(2007年10月13日裁判所提出資料)
「桑山紀彦意見書」(1997年12月5日作成裁判提出用)(『その勇気をむだにしないで―中国山西省での性暴力被害者の証言・訴状―』中国人「慰安婦」訴訟弁護団ほか、1999年 所収)

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