慰安婦問題を取り巻く用語を解説していきます
国民基金
国民基金(正式名称「女性のためのアジア平和国民基金」)とは1995年8月15日に発足され、12月8日に財団法人の認可を受けてスタートした日本政府の外郭団体です。いわゆる元「従軍慰安婦」問題の解決のために、被害者に対する償いと、女性の名誉と尊厳の回復を目的とし、運営費を日本政府が出資し、被害者に支給する「償い金」は主に国民の募金によって実施されました。対象とされた地域が限られていたことについて触れられていない。
国民基金の運営については、発足当時から様々な批判があがりました。こうした活動をみると一見、日本政府は「慰安婦」問題の現実を受け止め、誠実な補償活動をおこなってきたようにもみえます。しかし、例えば国民基金によって集められた「償い金」は、あくまで「国民」による募金であり、そこに政府の資金がはいることはありませんでした。これでは被害女性がこれまで求めてきた政府自身による補償をおこなわず、「民間の償い」によって「慰安婦」問題への国際的な批判をかわそうとしているのではないかという疑問が消えなかったのです。
それに対し、当団体の理事を務めてきた大沼保昭氏は、著書書名をあげるの中で「日本の侵略戦争と植民地支配への反省と償いは、政府だけに委ねるべきでなく、日本国民全体がかかわる仕組みをつくらなければならない」と述べています。そのために、「償い金」そのものは国民からの寄付を募る一方、事務局の人件費・運営費・広報費など、償い金以外の費用は政府の負担にすることで、政府と市民が共同で「慰安婦」問題に向き合う体制をとっているのだ、という説明をしています。
確かに、戦争を起こした政府の国民が何らかの償いの活動を起こすことは必要なことだと思います。しかし、国民基金のそれは、「慰安婦」問題に向き合う体制としては不十分だったと思います。←この箇所は、執筆者じしんの考えなのか、それとも、様々な批判の一つなのか。ここから二段落あとには、「〜批判が多くありました」となっており、それをうけた大沼氏の反論を紹介しているので、このあたりが曖昧。整理する必要あり。
そもそも、「慰安婦」問題を中心とした戦後補償・責任問題を考える際、言葉通りこれは「責任問題」ですので、第一に責任を負わなければならない対象は誰なのか、ということは意識しなければなりません。「慰安婦」問題の場合、引き起こした最終的な責任者は紛れもなく日本政府です。それならば、日本政府こそが「慰安婦」問題を引き起こした第一の主体として、責任を負うのだということを表明しなければなりません。しかし、国民基金は、責任を負わないといけない対象が政府なのか、国民なのかが曖昧なのです。そのため、本当に日本政府は誠実にこの問題を償うつもりなのか、はっきりしないのです。
またもう一つの問題として、国民基金はあくまでも「道義的責任」のもとに行われた活動であり、法的責任には結びつきません。そのため、本来法に従った公的な補償活動をすべきなのに、それを「道義的立場」という曖昧な言葉で、責任を回避しているのではという批判が多くありました。
これには、大沼氏の同著書で「「法的責任は道義的責任に優る」という価値序列を想定することには根本的な問題がある」とし、高齢となった被害者にいち早く実現できる現実的な要求を達成するには、長い時間のかかる法的補償よりも、総理大臣の「お詫びの手紙」を添えた国民からの償いの拠金、政府による医療福祉支援などの道義的責任をはたしていくことが必要だと述べています。
高齢となった被害者の尊厳を取り戻すために、一刻も早い行動に出る必要があることは、間違いありません。しかし、それは大沼氏が述べるような「法的責任とは異なる次元で」はたせるものなのでしょうか。国家が何らかの犯罪等を起こしたときに、その犯罪は法的措置をとらずに解決することはできません。「慰安婦」問題を紛うことなく犯罪であると規定するのなら、その犯罪の主体、責任を認定し、裁断するためのプロセス、つまり法的措置をとる必要があるのです。従って、法的責任と道義的責任を別のものとして解決できるという考えは、結局のところ被害女性に対する「誠意ある謝罪」を否定することに等しいのではないでしょうか。
2007年3月31日、国民基金は12年間の事業を終了し、解散しました。それまでに、募金額は約5億6千万円集まり、韓国、台湾、フィリピンの被害女性合計285人に支給されました。オランダでは、被害女性79人に医療と福祉サービスが提供されました。インドネシアでは、政府が国民基金と合意して、養老院設立事業を受け入れました。対象とされている地域が限られていたことは、ここで触れるか。中華人民共和国(台湾、海南島もふくむ)は対象外。
一方で、この間に韓国、台湾を中心に多くの地域で基金の支給を拒否する被害女性が現れ、支給を受けた女性と受けなかった女性、あるいは国民基金を支援した団体と反対した団体の中で亀裂が生じ、「慰安婦」問題を解決しようとともに活動してきた市民の中に大きな不信感をもたらしました。また、支給を受けた被害女性も、後に受給したことに罪の意識を抱く人もいました。しかし、現在は少なくとも被害者間の亀裂、支援団体と被害者間の亀裂は緩和し、ともに日本政府が法的賠償をとらないことに怒りを表明しています。
そもそも「慰安婦」問題の解決、あるいは償いとは何のためにおこなうものでしょうか。言うまでもなく、それは国家の暴力によって踏みにじられた被害女性の尊厳を取り戻すためにおこなうものです。ならば、尊厳を取り戻したかどうかを決定するのは被害女性自身ですし、それを私たちの憶測で決めることではありません。国民基金を推進した人たちは、「償いたい」という善意で始めたのでしょうが、多くの被害女性から基金の支給を拒否され、さらに被害者間の不和を生んでしまった現実を誠実に受け止めるべきです。そして、国民基金を推進した人たちだけでなく、高齢により被害者の命が消えゆく中、今後私たちが被害女性の声を受け止め、本当に彼女たちの尊厳を取り戻すには何をすればいいのか、真剣に考えていく必要があるでしょう。