『金子安次さんの証言』2008.1.13 於 戦争と女たちの戦争と平和資料館
2008年1月のハイナンアクトの際、ハイナンネットは元日本軍兵士の金子安次さんにお願いをして参加者と共に金子さんの戦場での体験を伺いました。その際の参加者と金子さんとの質疑の記録です。
Q質問(男性1):アメリカ兵が精神的に苦しんだ兵隊がすごく多かったのですけど、あなた自身も中国などの体験で今も苦しむことがありましたか?
金子さん:私が一番頭に残っているのは、子どもを持った時。子どもが出来た時。残っている。思い出す。孫が生まれてもね。思い出すんですよ。そういう状態だね。なかなか忘れることができるものじゃないですよね。
Q質問(男性2):天皇に対する忠誠心はいつごろなくなったんですか?
金子さん:ソ連に入って、ソ連から中国に移った時。ソ連に行った時にね。我々は天皇陛下のために一生懸命、命を投げ出して働いたのだから、必ず天皇陛下が助けてくれると思っていた。半年経ってもうんでもない。すんでもない。1年たってもうんでもない。すんでもない。我々は苦しい生活を5年間も。いったい天皇というというのは、何だろうという気持ちがだんだん出てきたんですよ。それからあんまり私たちは天皇という言葉については信用しなくなってきたんですよ。そういう状態だったんですよ。
Q質問(男性2):天皇に対する忠誠心がなくなった時に、愛国心も一緒になくなったんですか?
金子さん:ですから、なくなったんですよ。いや、愛国心というのはありますよ。しかしね。あの当時の天皇制・軍隊というああいう愛国心でなくして、本当の愛国心というものは戦争に反対し、戦争をなくすことが本当の愛国心であるという風に私は思っている。現在は。そう思いませんか?でね。私はそういう経験を踏んできているから、本当の愛国心というのは戦争に反対し、戦争をなくすことが、そういう運動をすることが本当の愛国心だということを私はすごく自信を持っている。それはね。私らの理屈じゃないの。私たちの16年間の体験ですよ。体験がはっきりと私に教えてくれた。だから、天皇というものをなくす運動をすることが、本当の自分の国を愛する一つの手段であるという風に私たちはそう思っています。自信を持っています。
Q質問(男性2):昔の聖戦観というものは改められたのですか?
金子さん:昔の聖戦だなんていうものはあてにならない。あんなの本当にあてにならないですよ。言いようにだまされてきた。はっきりいうとだまされてきたんですよ。例えばね。私が兵隊に行った時、うちのお袋に俺たちは金平糖なんてほしくない。天皇陛下のために尽くすのが本当の愛国心だと。自分でわからなくなっちゃった。
Q質問(男性3): 女性国際戦犯法廷で、強かんをしたという証言をする日本兵の方というのは一般的にすごく少ないと思うんですね。なぜ、それを伝えようと思ったのか?
金子さん:いないよね。とにかくね。こういう例があるんですよ。私たちが山東省の臨清というところにおったんですよ。臨清というところ。そこのところね。私たちの部隊の本部があるところは臨清というところにあるの。戦争をし終えるとこうなっているでしょ。ここに一中隊、二中隊、三中隊、四中隊ある。要があるところは大隊本部のところだ。(両手を開いたまま合わせ、一中隊を左手の親指、人差し指が二中隊、親指が三中隊、右手の薬指が四中隊と続けて差し、そして合わさった手の平の部分を要だと言って指す。)
各中隊が点在して分駐しているわけですよね。そこのところに兵隊が100名ぐらいいるわけですよ。その兵隊に対してね。部隊からの命令で「お前たちは一個分隊を率いて、各、その今日は一中隊、その次は二中隊という風に廻って歩け」という命令をもらったわけだ。それで私たちが部隊本部へ行った時にトラックが二台あった。一台目に二人の女の方が乗っかっておった。絣の着物を着た女の方が座っていた。私たちの後の組も乗っかって、一緒に出発した。
それで、一中隊に行ったんです。そうしますとね。一中隊というと。一中隊の連中はまずね。もう一番、最初にやるのは古い兵隊がやるんですよ。廊下があるんですよね。廊下のところに天井の上から毛布で仕切ってある。一部屋になっている。その下に布団が布いてある。布団と布団の間に部屋の毛布で仕切ってある。その下に女の人が寝ているわけだよ。女の方が寝ているわけだよ。わかります?それで男が部屋の外にいるわけだよ。ずっと並んでいる。20名ぐらいがダーっと並んでいるわけだ。それで1人ずつその部屋の中に入って、一円をポイッと女のまたの前に置くんですよ。 女の方は入り口のところでまたを広げて待っている。こんな話したくないんだけどね。またを広げて待っていた。
そこのところを兵隊はこうズボンをおろして。それだけですよ。おろして、おちんちんをそこのところに入れるわけだ。こすって終わりだよ。そういう風な慰安所だったの。ところがね。何人やっても全然女の人はタバコをふかふか吹かして知らん顔をしてそのままだったの。こっから、おつゆが流れ落ちている。あそこから流れ落ちている。私は帰り際にね。車の中で言ったんですよ。「お前ら、ずいぶん汚ないなあ。なぜ、あそこのところを拭かないんだ。」と私はこう言ったの。そしたら、曰く「兵隊さん。あそこを1人1人拭いたら、私たち、商売が上がったりだよ」とこうやって言われたの。「何、商売上がったり?」
なぜ、上がったりかわかる?なぜ、上がったりかわかる?商売、上がったりだよ?毎回毎回拭いたら、商売上がったりになっちゃう。そうですよ。30人も40人もやった場合、いちいち紙で拭いたらあそこのところがすり切れて真っ赤になっちゃう。そうすると泣くのは女の人なんだよ。だから、女の人は開いたまま。男は流したまま。全部、終わるまでそのかっこ。たばこを吹かしたり、天井を見たり。そうやっているだけ。それがちょうど慰安所の状態だったの。わかりますか?そういう状態だったの。
Q質問(男性3):中帰連の中にも人を殺すとか虐殺とかを証言している人はたくさんいるけれども、強かんのことについて話している人はほとんどいないですよね。
金子さん:いや。それわね。やっぱ、男なんだよ。うちの母ちゃんと子どもには、絶対話さない。話なんて出来っこないでしょ?はっきりにいって。わかる?だから誰もあまり話さないんですよ。だけど、あの場合は、特に私は話した。そういうところがあるんですよね。やっぱりね。性行為の残虐性というかな。とりあえず、こうやったままですよ。10人だの20人だのこうやったまま。だらだら流れている。おつゆが。それを1人1人拭いたら、ここがはれあがっちゃうんだそうですよ。こういうことはなかなか話できないんだよね。
もう一つあるんですよ。私がある鉄道の線路の護衛をやったんですよ。警務官。それがね。汽車の中をず~っと見て歩くんです。警戒するんですよね。見て歩く。たまたま2人の女がおった。格好を見たら、きれいな格好をしているわけだ。「お前、ちょっと来い」とひっぱった。ひっぱってきた。それで、汽車の一番後ろの方に我々の車両が一台だけあるんですよ。そこのところに連れてきた。昔、あのタカシオデンタを知っていますか?タカシオデンタ。泥棒さん。女泥棒。盗んだものは、ここにいれちゃうんですよ。
ある温泉である有名な人の金持ちの旦那さんの懐中時計がなくなってしまった。大騒ぎがあった。警察官がどうもあの女がおかしいんだけど、調べようがない。頭をひねった。それで、自分の部下にたらいを持って来い。たらいを持ってきだした。その女に対して。タカシオデンタに対して「お前、このたらいをまたげ」とたらいをまたがした。たらいをまたがしたら、ポターンと懐中時計が落っこった。それと同じように、私たちはその汽車の女の人をひっぱってきたの。そして、どうしようかと思っていたら、古い兵隊が直に見たの。そうしたら、その中に。ハートビジンって知っていますか?知らない?サックはわかっているでしょ?サックの中に当時、山東省では莫大な金になるアヘンが入っておった。アヘン。アヘンがいっぱい入っておった。ここの中に。そうして、彼女たちはある人の指示に沿ってアヘンを運んでおった。こういう風なこともやっておった。
だから、私たちは「従軍慰安婦」の問題についてはねえ。これは軍がやったものか、個人でやったものかはっきりわからないのはそこなのよ。元はわからない。しかし、現実にそういうことをやっていることは事実。当時、「満州国」は金がないためにアヘンを相当作ったらしい。アヘンを各地方にドーンとばらまいたらしい。バラバラ方法として、そういう風な運搬を使って。運搬をしながらして各地方にばらまいたらしい。全部、そういうのを「慰安婦」を使って利用したらしい。わかった?こんなのがいたらしいですよ。ちょうどあの。サックの中に黒いやつをいれたらしい。それで運ばしたらしい。
Q質問(女性1):つまり、国の命令でやらされたのか?自分の意思でやったのかの線引きが曖昧だから、話すことに抵抗がない?命令されて慰安所に行ったから話すことに抵抗がないんですか?
金子さん:ただね。そういうことを。あんまりね。あそこが入れっぱなしだとか、あれを入れたなんて話したくないでしょ?話したくないんだよ。はっきり言ってね。事実はそういう事実があるということ。それは誰が命令したか分からないよ。誰が命令して運搬し、どこに行くかは我々にはわからない。そういう事実があるということを述べただけのことだよ。それにおいて「慰安婦」を利用しておったということも一つの事実なの。当時、「満州国」は金がなかったんだね。アヘンを作って、アヘンをそうとう中国全土にばらまいたらしい。それで、金を得たらしいんだよ。それで、そういう方法で各地方へばらまいたんじゃないかなあと、私たちは考えたんだよ。
Q質問(女性1):一つの事実だから、話そうかなと思われたんですよね。
金子さん:そう、そう、そう。一つの事実としてね。とってもらえば良い。当時の悪いことをやったんだという風にしてもらえれば、一番良いわけだよね。
Q質問(眼鏡の男性):金子さんのお話で分かったと思いますけれども、その他に731部隊とか、「生体解剖」をした軍医さんとか、中帰連というのはそういう人たちをまとめて組織しているんですよね。そういう人たちの証言も合わせて日本の軍隊がどういうことをやったのかということを理解する場合には大切だと思うんですよね。金子さんは、当時は一兵卒から最後は伍長になったというくらいなんですね。だから、上部でどういう風にやっていたのかということとかは分からないところも多いわけですよね。まあ、そういうことを理解の背後においてほしいんですよね。
それとですね。帰ってからの直後が大変だったんですよね?というのは、中国で洗脳されたんじゃないかと、「アカ」になってきたんじゃないかという風に公安から最初に付け廻されたり、それから周辺の人たちがみなそういう風に思うわけですよ。マスコミもね。そういう洗脳されたかという見出しがでかく出ているわけですよね。だから、就職しようにも就職する口がないんですよ。どっかに就職したりしても、すぐ公安が来てわかってしまうと。そうするとやめてくれと言われてしまうとかね。
そういう苦労をして、例えば時々テレビに出ますけれども、車で衣服を運んで売り歩く訪問販売をするとかっていうことをやったり、鈴木良雄さんの場合は牛乳配達をやったり、事業をしたりということをやりましたよね。そういう苦難の生活を経て、帰ってきたのは56年ですよね。57年にお互い同士、助け合おうというので中帰連という組織を作ったわけですよ。
だんだんそういう中で、1980年~1990年にかけて「自由主義史観」というのが出てきますよね。これに対して、自分たちが中国でやってきたことを言わなければ、このまま自虐史観だとか言われて括られてしまう。日本軍がやってきた罪行がなしになってしまうということで中帰連というのは立ち上がって、証言をし始めるんですよ。自分たちが何をしたのかということで、中帰連というのは右翼からすごく恐れられているんですよね。恐れられてきたわけですよ。中帰連平和記念館というのを川越に作りましたけれども、そこが最大の反日基地だという風に宣伝、『SAPIO』か何かで書かれているんですよね。まあ、そういうこともあります。で、中帰連の人たちはもうすでに85歳を超えて、どしどし証言活動が出来なくなって来ているのですけど、唯一金子さんとかね。まあ、あと数人ですよね。ほとんど。
その人たちが頑張って証言をしているので、ぜひともこの証言を単に聞きっぱなしにするのではなくてこれからのみなさんの。学生さんですか?あるいは社会生活の中で活かしていってほしいという風に思うんですよね。当時の周恩来総理から日中友好に邁進してほしいと。もう、日本と中国が戦うことのないようにしてほしいと。という風に堅く言われているわけですよね。まあ、そういうことを活かしてほしい。という風に思います。
ここに朝顔が出ていますけども。私、写真をコピーしたやつ。夢路の花として撫順の戦犯管理所に咲いた花の種を職員から帰国する時に渡されたんですよ。佐賀の人が。これがその種を渡されて日本に持って来られまして咲いていると。これを朝日新聞が去年、大きく取り上げまして。元論説委員の方が書きまして。「赦しの花」という風に売られています。で、この写真にある朝顔のとなりにある謝罪碑ですけれども、この謝罪碑というのはカンパで中国に建てたわけですよね。戦犯管理所の正面玄関に入りますと、裏方にあります。ぜひ、中国に行かれた方は戦犯管理所に訪れてほしい。金子さんは独房に入ったんですよね。珍しいんです。独房に入ったんです。
女性2:それ。何か、ちょっと重たかったわけですか?重たいと言ったら、変ですけど。罪が。
金子さん:重たいということもあるし。あんなことをやったからね。たぶん、そうだろうと覚悟はしたけどね。まあ、いつここに来るかと覚悟はしておったんですよ。でも、とうとう来なかったのでね。助かったんですよ。だから、正直なところ言うと私はね。日本に帰ってきてから、一番世話になった人の倅さんを呼んでもう5年間も面倒を見たんですよ。日本に呼んで。もうその人は今じゃあ日本におって100人も人を使ってやっているんですよ。100人も。北京にも50人くらい使ってやっているんですよ。そのように企業を呼んでやっているから私も安心しているんですけどね。
やっぱし、今の中国のああいうことがあったから、私たちはこうやってはっちゅうはっさく生きていくことができたんだからね。その感謝が大きいんですけどね。そういうつもりなんですよ。だからね。私はさっき愛国心ということばをあの人が言っておったけどね。戦争をなくすることが本当の愛国心で。今の教育で。今の義務教育で愛国心とはということを言っておりますが、本当にああいうことばにだまされてはだめですよ。本当の愛国心とは、戦争をなくすることですよ。戦争をなくすること。これが本当の愛国心なんですよ。そうすればね。自分の子どもをね。自分の子どもが靖国神社に祀られて喜んでいる親がありますか?はっきり言っていないわけだよ。泣いているんだよ。ね。にも関わらずね。また、戦争を起こして靖国神社、大変でしょう。
こないだのBS(?)のテレビでやっておったじゃないですか?ある人がね。どうもね。おかしい。納得できないと。私はニューギニアにおったんだけどもね。ニューギニアでは10万人も人が死んだと。にもかかわらず、参謀は1人として戦犯になっていないんだよ。参謀は1人として戦犯になっていない。なぜだろう。頭かしげておった。まさにそのとおりです。だから、戦争は絶対反対だと同時に反対ばかりだけじゃなく、戦争をなくさなければならない。戦争をなくすることが本当の愛国心であるということを自覚してもらいたいんです。これが私のしゃべる最高の目的なんですよ。
分かりますね。本当これね。何だかんだうまいこと言っていたってダメなんですよ。戦争がある以上、絶対にダメ。一番泣くのはね。さっきも言ったけど、女の方なんだよね。はっきりいって。女の方。うちのお袋は私が帰ってきて、たった二月目に死んじゃったんだよ。あの時は本当に残念で残念でしょうがなかった。私が帰ったので、ほっとしたんでしょうね。ほろっといっちゃった。
Q質問(男性4):金子さんから見て、今の日本ってあぶないと思いますか?
金子さん:だからね。今の日本は憲法改正しようということが始まっているでしょう。絶対、私は反対だよ。はっきり言ってどこの党でやろうが、戦争は反対。なくさなければならない。それが私たちの最高の目的なんですよ。これはね。私たちが作り上げた理屈じゃないんです。16年間の体験が生んだ結果なんですよ。私がこれは理論じゃないですよ。体験の結果なんです。絶対に戦争は起こしてはならない。いうことなんですけどね。私は運良く生きて帰ってきて良かったですけどね、本当に死んだ人が何人いるかわからない。みんな、泣いているんですよ。靖国神社に祀られて、神様になったって口も聞けないんだから。口も聞けない。姿も見せられない。そんな馬鹿な話ある。どんな馬鹿でも生きてくれれば、一番良いんですよ。まあ、そういうつもりなんだよね。
あたしは何かね。中国から帰ってきたでしょう。そうしたらね。二年間は監視付きだよ。監視付き。二年間というのは。ね。しかも、私たちが何をやったというの。何を悪いことをやったというの。ソ連へぶち込まれた。中国に戦犯に送られた。日本に帰ってきた。そうしたら、監視付きですよ。お前さんは何月何日どこに行ったと、ちゃんと帳簿に書いてある。私はびっくりしたの。そういう状態だったの。何を私は悪いことをやったのか?みんな我々は命令でやったじゃないですか?天皇の命令で。にもかかわらず、そういう状態でしょ。こんな馬鹿なことがある?どう考えたって、私は共産党でも何でもないよ。本当だよ。だから私は本当に腹が立つんですよ。
Q質問(男性5):中国人を殺すときは全く悪いことだとは思わなかったですか?
金子さん:初めはね。悪いと言うより、怖いの。怖いの。殺すことが怖いんですよ。ねえ。尋常だったんだよ。みんな。怖いんだ。あんた。銃剣持ってヤッーと行って顔見ていたら、向こうはね。青い顔をしてじーっと見て、目を見たら行かないですよ。こっちががたがた震えちゃうの。ところが、1対1でやった場合には、相手を殺さなければ自分が死んじゃうわけでしょ?だから、必死になるんだよ。
相手は木に縛り付けられているの。そこのところをめがけてヤッーと行って、向こうも必死になって助けを乞うような目をして見ていたら、こちらが震え上がっちゃう。だから、ヤッーと当たった瞬間、スゥーと滑っちゃう。小銃が上からバタッーと落っこっちゃうの。落っこっちゃうと、「貴様、天皇から預かった小銃を投げ出すとは持ってのほかだ」。ビンタだよ。そういう状態だったの。それを何回も何回もさせられて、それでだんだんだんだん今度は人を殺すことに。それで、人を殺すことに階級が上がってくるんだから。こんな馬鹿な話ある?内地にいれば、もう刑務所行きだよ。階級が上がってくるんだよ。給料が増えてくるんだよ。これが軍隊なの。こういう軍隊を増やして良いですか?増やして良いですか?あんた。良いと思う?そうですよ。
二十歳になればいやおうなしの検査があるんですよ。検査。21歳になれば、甲種合格で判をピャンと押されれば、いやでもおうでも。あんた。俺、いやだよと言うわけにはいかないのだから。いやだと言ったら、刑務所だよ。そういう状態なの。だから、戦争とかをするような法律を作ってはならないというのが私たちの願いであり、私たちの運動の主幹なんですよ。
Q質問(男性5):中国や軍隊から逃げようとは思わなかったですか?
金子さん:逃げようなんてもうとうない。それだけの力がないんだよ。もう。我々には。ソ連の5年間の苦しい生活の中からそういう力はほとんどなくなってしまった。しかも、嫌なら入ったきりでしょ。運動もあまりしていないでしょ?力はない。その時はもうとうない。どうせ、死ぬのだったら楽に死んだ方が良いと。そういう気持ちが大きかった。
Q質問(男性5):中国との戦争中に逃げようとは思わなかったのですか?
金子さん:そんなことはない。その時はもういわゆるね。天皇陛下のお言葉が耳に、頭に張り付いているから。天皇陛下のためと頭に張り付いているからね。私、お袋の話を言ったけども、義務教育の中に『一太郎やあい』という本があるんですよ。義務教育の中に。尋常4年生かなあ。一太郎という青年がいよいよ十五年戦争が始まって招集されてね。よし、今日は出発だと。母親が見送りに来たわけだ。それで。
「一太郎やーい。お前、戦地へ行ったならばな。天皇陛下のために一生懸命働くのだぞ」とちゃんと教科書に乗っかっているんだよ。そういうことを私たちは教育を受けたの。ね。ですから、私たちはそれがもう頭にばかり持っていたの。でしょ。歌にもあるでしょ。露営の歌。夢に出てきた父親に死んで帰れと励まされて。露営の歌よ。こういう状態なんですよ。ね。
ですから我々は、当時は本当に天皇陛下のために命を投げて働くのだというのだとこれが最大の親孝行であるとばかりに私たちは思っておった。ところが逆なの。全く逆なの。だから、私たちはそういう理想や過程を踏んできて、絶対に戦争を起こしてはならないんだということをあなたがたにお願いしているわけだよ。わかります?
Q質問(男性6):天皇の戦争責任についてお聞きしたいのですが、昭和20年8月12日のニューヨーク・タイムズに「連合国は天皇陛下を助けます」という新聞記事が出ているのですね。それを受けて、天皇陛下は自分が助かるということを知って終戦を受け入れたのですけども、そういう現実を目の当たりにするとどういう気持ちになりますか?(00.32.11)
金子さん:当時、私たちはそんなことを夢にも知らなかったよ。はっきり言って、夢にも知らなかったよ。そういうことはね。だいたい、我々は新聞なんて見ないもん。こっち来て、何年か経ってなるほどと出てくる程度であって。全然知らない。だけども、まあ天皇という存在は何の力はないのだと。ただただ単に尊敬すべきというだけのことで。それだけのことであって、別に復讐するなんてことはないしね。しかしながら、戦争をさせる憲法を絶対に作ってはならないというのが、私たち中帰連の精神なんですよ。そういうつもりで、私たちはやっているんです。
Q質問(女性4):戦争を体験された金子さんと同世代の人たちに対しては、今どんな思いでいらっしゃいますか?
金子さんただね。電話するでしょう。おい。生きてるかーっという程度だよ。生きてるかい。その程度だね。お前はどうなんだい。俺か。俺はションベンが出なくて困っているよ。という程度だよ。歳をとると色々な病気が出るからな。大事にしろよ。長生きするよ。こう言うつもりでね。私何かもね。もう88でしょ。もう、おかしくなるも当たり前のこと何だからね。年々おかしくなっているんだから。口は廻らなくなっちゃうわね。物忘れは激しいわね。だんだんそうなってきたんですよ。前はこんなのなかったんだろうなあと自分でいらいらするけどもしかたがない。これは歳は歳だしね。そう言われるようになっちゃうの。だから、余計に私たちはこういう結果を踏んで、すべて中国から我々は命をもらったんだから、最大限いわゆる戦争に反対する運動を我々は出来るだけやらなければならないんだというのが、私たちみんな1人1人の基本的な考え方なんですよ。そういう調子なんですよ。本当にだめですよ。だんだん足腰がそうなってきているんだから。足はきかないわ。目はぼけてきているわ。耳はつんぼになっちゃうわ。良いこと一つもないわ。ははは〔笑〕。
Q質問(女性5)日本が敗戦国になって、天皇に対する気持ちというのはどうなりましたか?
金子さん:私はね。日本はね。8月15日ね。放送が終わったでしょ。ね。天皇の放送があったわけだ。みんな、涙こぼしたでしょ。私たちもね。一瞬、ああ日本負けたかとこう思った。涙をボロッとこぼした。しかし、反面助かったというのが私たちの実感。戦争が終わって助かったというのが私たちの実感なんですよ。ところがその実感が今度は捕虜になって、戦犯になっちゃったからね。ちょっと苦しい思いをしたけどもね。しかしながら、まあ中国のおかげで私たちは命が助かったことは事実だからね。その点は感謝しているんですよ。当時はそういう気持ちだったの。助かったという気持ちだったの。
Q質問(女性6):天皇に対する憎しみとかは生まれなかったですか?
金子さん:んなの。そこまでいっていない。そこまでいっていない。そこまで我々の考えは、当時はいっていないんですよ。まだまだその当時は、天皇に対する忠義で一点張りだったからね。その当時は。そこまでいっていない。だから、1年経ち2年経ち5年経っても、何で天皇は俺たちを助けてくれないのかなあという気持ちになるんですよ。なぜ、あれで俺たちが命を投げ出して戦ったにも関わらず、天皇はうんでもすんでもない。そんな馬鹿な話はあるもんかという気持ちは持った。ずっと後の話で。当時はそんな気持ちは全然なかった。そんなところですよね。
Q質問(男性7):金子さんが中国の方を殺してしまった時、おそらく、初めて出会った人を殺して。初対面の人を殺したはずなのに、さっき顔を覚えているみたいな、顔の表情が変わるみたいな話をされていましたけども、それは初めて出会ったのにその表情というのは覚えているのですか?
金子さん:表情は覚えていない。ただ、目のすごさはわかった。目の中の泣きたいような。怒りに燃えているような。その目だけはいくらか残っておりますね。しかし、表情というものは私の頭から消えている。しかし、子どもの顔だけはじっーとまだ覚えている。これだけは覚えている。自分の孫を見るたびに思い出すけどね。思い出す。
Q質問(男性8):毎日毎日ビンタを受けながら、軍隊教育の中で自分もその中で1人の人間でいるのは全く自信がないのですけど、その頃の状況というのは日本にいる時からそのように簡単に人を殺せるような気持ちになっていたのでしょうか?それとも中国に行ってからでしょうか?
金子さん:中国に行ってから。うん。中国に行ってから。こうやられてからね。だんだんだんだんね。あんまり殴られるからね。どうせ、殴られるならやっちまえというわけで。だんだんその時は。1人殺すとね。何かその。何かそのサバッとしちゃうんだよね。今度は1人殺すと「お前なかなか良い度胸だな。お前上等兵だな。」となってくると、今度は2人目を殺すようになる。今度は競争になってくるでしょ。お前、何人殺したんだ。俺は2人だ。じゃあ、俺は3人殺す。競争意識が出てくるの。そういう状態だったね。あの昔、南京事件で将校が2人、首切りで競争をやったでしょ。ねえ。あれと同じですよ。
Q質問(女性7):さっき、女性とこどもは殺せという命令が軍の中であるっておっしゃっていましたけど、慰安所に行くことや強かんすることに対して、軍の強制性というのはありましたか?
金子さん:慰安所は軍が管理しているの。軍が管理しているのよ。ね。軍が全部、お前はここに入りなさいと。あの女はあっち行きなさいと軍が全部管理しているのよ。だから、軍の強制でも我々は強制とは考えていないよ。はっきり言って。しかしながら、あるいは「慰安婦」の方々がそうならば、あるいは強制かもしれないね。他に行きたいのだけれども、ここを出たとてしても必ず軍にやられてしまうという風なあれがあるから、黙って辛抱しているだろうけども。あるいは、強制かもしれないね。私はその点についてははっきり分からない。
Q質問(女性8):男の人が慰安所に遊びに行くことについて強制性はない?
金子さん:いや。ないない。完全にあれは。 本当だよ。